日々のマンネリから抜け出したい。

日々のマンネリから抜け出したい。は中学生の頃やってたブログのタイトルです。

自分語りをする自分があった事が嬉しい。

ジョナサンに行って席に通されたら、「ご存知かと思いますがジョナサン34thアニバーサーリーメニューがありうんぬんかんぬん」。俺は常連として認められた。月間20時間以上をジョナサンで過ごしてきたが、ついに、一人の常連として認められた。久しぶりに俺は人に認められた。すごい。人に認められるって中々難しいことだ。俺は店に認められた。俺は優良顧客なんだ。すごい。

今日は近所の高校の保護者説明会があったのか知らんがジョナサンにマダムの大群が来ている。マダム達のエネルギーに押され気味である。卓上を見ると高カロリーな食べ物が並んでいる。辛い。顔、ぱんぱんやないか。すごい。俺は、マダムは怖いと感じた。マダムは怖い。マダムはみんな自我に目覚めている。大人だから当たり前だけど、何か、学生くらいだとあまりガツガツしてる女性っていないイメージなんだけど、ここにいるマダムたちはみんなガツガツしてる。思ったんだが、結婚して子育てするようになると自然とガツガツするんだろうか。俺に足りない物ってガツガツの精神なんだろうか。俺が人生でガツガツした瞬間って累計でも1ヶ月無いと思う。ガツガツというのは肉食的だったり、リア充のような生(性)のエネルギーに満ちあふれているような、そういうオーラのようなものを指している。俺は多分死んでる側の人間なんだと思う。今日のジョナサンはそのようなオーラに満ちていて頭が痛くなる。やっぱり俺は死んでいる側の人間なんだ。俺はただ穏やかに生きていられればそれだけでいい。こういう思考が死んでいる側の人間の思考なんだ。俺は死にたいと思う事がたまにあるが、死にたいと思う必要ももう無いんだ。考える事がひとつ減って嬉しい。

Twitterにも書いたが、この前会社で性格診断のようなものをやった。分析結果としては俺はフォロータイプの人間で自己主張をする側の人間をフォローするのが得意とかそんなことが書いてあった。俺は回りの人間の顔色を窺ってるだけで、ただその場に溶け込めていればそれでいいスタンスで生きているから妥当な診断結果だと思う。自分でも良く分析をするんだが、自分が仕切らなくても結果的に自分の思い通りに物事が進んでいるように仕向けるのが好きだ。それはけっこう簡単なことで、自分の思惑とは違う方向に話が進み始めた時に軌道修正の一言を言うだけだ。それを繰り返すだけで自分がガツガツ意見を言わなくても結果的に自分の想定の結果になる。後は相手が気持ちよくなる言葉を間に挟んでいけば誰もがハッピーな気持ちのまま話し合いは終わる。俺の人生の処世術ではないけど、俺のやり方はこういう感じだ。ただ、分析系の人間は俺のこういう内面を見透かしてるから、分析系の人間と俺は相性が悪い。俺は相性の悪いタイプとは距離を置くから何も問題は無いが。

 

今隣の席のマダムがソファーをガツガツ叩いたが、ソファーは俺の席にも繋がってるから振動が全て伝わってくる。品が無い。俺はこの主婦たちのことをマダムと称していたが訂正する。この人たちはおばさんだ。マダムとは単純に主婦という意味であるが、日本では貴婦人のようなニュアンスで捉えられている。少なくとも俺はそういう捉え方をしているが、このおばさん達からは品を感じない。俺は品が無いものは嫌いだ。俺はどんな場でも品を大事にしているからこういう態度は許せない。おばさんよりももっと酷い呼称にしても良いくらい俺は憤っているが、そうしないのは俺の品位まで損なわれるからだ。俺はまだ一人の人間として生きていたいから品位を大事にする。品位は人間性を形成する一つの要素だ。

 

この記事の冒頭でジョナサンの常連として認められたと言ったが、さっき店員が他の客にも同じ「台詞」を言っていた。「台詞」というのは便利だが稀に相手を傷つけてしまうらしい。

 

俺はこの記事でネガティブな話題を書いたが、ネガティブ思考は不幸の元凶にしかならない。ネガ思考をした後に「頑張ろう」とは思わないからだ。かと言って特段ポジティブな話題も無いんだが、ネガティブな話題は自分語りをする上では嫌な気分にならないから良い。まぁ人と話す時はこういう話は避けるけどネット上では自分語りをしたい。